母の家のダイニングテーブルが、ほぼ兄と私の私物でいっぱいだったので、片付けました。
今年最後の、母と兄と私の3人のお十時お茶会しました。
こんな何でもないことが、いつかできなくなると思うと、愛しいひとコマ。
ことに大晦日という節目では、それを強く感じます。
良いお年をとか、年末だお正月だ、と言っても、昨日の続きの今日、今日の続きの明日、ただ連綿と繋がる日常に変わりはないのですが、でも、やはり暦の節目や、季節が巡ってきたりすると、しみじみ感じてしまいます。
旅に生き、旅を住処としていた松尾芭蕉も、季節の行事の日には、今、家にいないためにきちんとした行事ができないでいることに、寂しさを感じていました。
旅先だから知る日常の有難み、というものかなあ。
旅の途中ではないけれど、母の人生、兄の人生、私の人生、同じようでいて違う行き先の舟か汽車か、あるいは時の流れそのものか、一緒に乗り合わせているのか束の間なのか、そんなことまで考えてしまう年の暮れ。
よほどのことがない限り、3人とも無事に新年を迎え、当たり前のように明日を生きるのでしょう。
そんなことを考えていたわけではないけれど、兄が、
「今日のお茶、美味しいね」
と言ってくれ、私は
「この前、クリスマスの日に新しく封を開けたお茶だから」
と答え、
母はクリスマスの時と同じように、
「えっ、今日、もう大晦日なの?」
と、呑気に言う。
私は午前中に、早々2025年のカレンダーを貼る。
来年も、こんな年の瀬を過ごせるのだろうか。
鬼が笑いますね。
2024年、「紗らり筆まかせ」をご愛読いただき、ありがとうございました。
また、来年もよろしくお願いします。
この後、スージーと合流して、某焼き鳥屋で晩御飯して、某ビジネスホテルで年越しをします。
今年最後の、母と兄と私の3人のお十時お茶会しました。
こんな何でもないことが、いつかできなくなると思うと、愛しいひとコマ。
ことに大晦日という節目では、それを強く感じます。
良いお年をとか、年末だお正月だ、と言っても、昨日の続きの今日、今日の続きの明日、ただ連綿と繋がる日常に変わりはないのですが、でも、やはり暦の節目や、季節が巡ってきたりすると、しみじみ感じてしまいます。
旅に生き、旅を住処としていた松尾芭蕉も、季節の行事の日には、今、家にいないためにきちんとした行事ができないでいることに、寂しさを感じていました。
旅先だから知る日常の有難み、というものかなあ。
旅の途中ではないけれど、母の人生、兄の人生、私の人生、同じようでいて違う行き先の舟か汽車か、あるいは時の流れそのものか、一緒に乗り合わせているのか束の間なのか、そんなことまで考えてしまう年の暮れ。
よほどのことがない限り、3人とも無事に新年を迎え、当たり前のように明日を生きるのでしょう。
そんなことを考えていたわけではないけれど、兄が、
「今日のお茶、美味しいね」
と言ってくれ、私は
「この前、クリスマスの日に新しく封を開けたお茶だから」
と答え、
母はクリスマスの時と同じように、
「えっ、今日、もう大晦日なの?」
と、呑気に言う。
私は午前中に、早々2025年のカレンダーを貼る。
来年も、こんな年の瀬を過ごせるのだろうか。
鬼が笑いますね。
2024年、「紗らり筆まかせ」をご愛読いただき、ありがとうございました。
また、来年もよろしくお願いします。
この後、スージーと合流して、某焼き鳥屋で晩御飯して、某ビジネスホテルで年越しをします。