2024年03月


3月31日(日) 晴れ


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朝6:20郡山駅発新白河行きに乗り、6:53白河駅着。

7:01 白河駅を出発。

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ポケットパークに井戸がありました。

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左へ行くと小峰城という標識。
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石標がありました。

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西側
「左 せんだい(仙台) あいづ(会津) でハ(出羽) ゑちご(越後)」

北側
「右 日光 江戸左 たなくら(棚倉) いハき 水戸」



阿武隈川を渡ります。

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橋から小峰城が見えました。

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天気予報では気温が上がって5月の陽気になるとのことでしたが、一日中強風で、ジャケットを脱げませんでした。風の来ない日向は確かに暑いぐらいですが、日陰は寒い。


マイ地図(道路地図を拡大したもの)では、道は真っ直ぐなのに、今歩いている道は大きく左へカーブしている。変だと思いつつもそのまま歩いてしまいました。

本来歩くつもりだった道は旧道で、右へ分岐してほぼ真っ直ぐに北へ向かい、女石(おんないし)交差点で国道4号にぶつかります。

しかし、私は新道を進んでしまったため、かなり西寄りの場所で国道4号に会うことになりました。

7:28 その、予定より西寄りの場所で国道4号にぶつかり、右折します。

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7:43 女石交差点。タイムロスをしました。この交差点にあるセブンイレブンでトイレをお借りし、R-1ヨーグルトを飲みました。

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7:52 右に入りました。

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立派な門で、お寺かと思いましたが、一般の方の家のようです。この辺りが、奥州街道根田宿です。

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何やらゆかしい火の見櫓。

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8:03 左折しました。

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石仏石塔群

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井戸の脇に石祠。水の神の信仰でしょうか。

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屋根付きのお地蔵さま。

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この屋根が祠なのかお堂なのか、祠とお堂の違いは、以前調べたときは、祠が屋根のみで床がなく、お堂は床も屋根もある、と書いてあったものを読んだように思うのですが、今回改めて探してみたら、見当たりませんでした。


石塔群
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8:30 小田川保育園と小学校が右に見えます。

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マイ地図によると、小学校の手前に右へ入る道があり、国道4号に戻れるはずなのですが、人家があって右へ入れない。

少し戻って、国道4号に出られそうな道を見つけました。

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クリスマスローズが咲いていました。

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芭蕉がここを歩いたわけではないと思いますが、何だか芭蕉が歩いたんじゃないかと思える道を行きます。

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8:37 国道4号に出ました。小田川小学校入口バス停がありました。

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国道4号 東京から195kmの標識

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地蔵堂がありました。

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回りに石仏石塔群

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これは多分、青面金剛(しょうめんこんごう)

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こんな道を歩きました。

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9:18 武光地蔵(首切り地蔵)

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案内板の内容はこちら

https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2024/04/21/122043


小さな社と石仏石塔群

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9:41 泉崎村の小さな池

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サフランが咲いていました。
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9:54 2つ目の池。こちらは新池と呼ばれているそうです。芭蕉が来た頃にはなかった池ですね。

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奥州街道松並木(踏瀬旧国道松並木)
  
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案内板の内容はこちら
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2024/04/21/124433


五本松の松並木

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案内板の内容はこちら
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2024/04/21/152759


10:17 卯右衛門茶屋と文七茶屋
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案内板の内容はこちら
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2024/04/21/153907


大和久(おおわく)宿入口

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大和久宿

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山王寺

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山王寺裏にある日吉神社で天道念仏踊りが行われているそうです。

山王寺前の案内板

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案内板の内容はこちら
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2024/04/23/122456


新町公園

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ここでトイレをお借りしました。


仙台藩士本内幸三良直久の墓 

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白河の激戦地石切場で5人倒したが戦死したそうです。


旧水戸街道常夜燈

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案内板の内容はこちら

https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2024/04/23/152546


中畑新田宿

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矢吹町の鳥はキジで、矢吹町のキャラクター、やぶきじくん。

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矢吹町のおもちゃ屋さんにウルトラマンが!

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大木代吉本店

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明治維新の直前、1865年(慶応元年)創業の造り酒屋。東日本大震災で被災しましたが、4年半の歳月をかけて復興したそうです。



大正ロマンの館

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福島南観光ホームページより

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大正ロマンの館は、矢吹町で開業した医師が大正9年に建てた住居兼医院です。
当時、海外で技術を取得した日本人建築家により段階的に日本国内で発展してきた洋風建築の木造2階建てで、
鷲をかたどった切妻(屋根の山形部分)のレリーフが特徴的な矢吹町内でも数少ない建物です。
現在はカフェとしてリニューアル、内装も当時の趣を残しつつ現代的な雰囲気となりました。

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この建物も東日本大震災で被災しましたが、復興を遂げた町のシンボルだそうです。



11:30 矢吹駅到着

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矢吹駅がカッコいい!
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電車で郡山に戻り、駅2階の中華料理、美味餐庁(メイウェイサンチン)のWランチを食べました。

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Wランチ 1,037円

◎6種類から主菜を2種類選べるランチ
 ◎ライス・スープ・小鉢・お新香・杏仁豆腐 付き

私が選んだ主菜は、麻婆豆腐と点心3種。


この後はマックでお絵描きして、17:55発の新宿行き高速バスで帰りました。



夕方の歩数 27,838歩 16.78km




























3月30日(火)の3



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風が冷たくて、そんなに山頂に長居はできなかったので、12:36、瀧不動登山道を下り始めます。

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いきなり鎖が設置された急傾斜。


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鎖を持って後ろ向きになって、足で斜面を押しながらポンポンポーンッと下りたかったのですが、鎖を地面に打ち付けた楔がぐらぐらしていて、強度が今一つ不安だったので、鎖を脇に挟むように両手で持って、斜面にたいして横向きに下りました。


下りきった、少し広くなったところに、装備を整えた男性がいて、この先の下りもさらに急傾斜なので、


「凄い道ですね」


と言ったのに無反応。


ピッケルまで持った方なので、私みたいなのがひょろひょろ鎖を下りてくるのにムカついたのかな?


その男性はピッケルは使っていましたが、鎖は持たずにひょいひょい登って行きました。


この先の下りを見たら、滑りそうな土の斜面に細い木の根っこが髭みたいにびろびろ生えていて、掴まれそうな木も見当たらないし、杖も借りてこなかったし、これは無理だな。ここを下りられたとしても、この先もっと難所が続くかもしれず、遭難の恐れもあると判断して、峠に引き返しました。


さっき峠に来たとき、この石仏には気づきませんでした。ユニークな表情が好き。

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他の下山ルートを見ましたが、硯石登山道と、私が上ってきた内松登山道、もうひとつは名前も書いていない。


安全を優先して、来た道と同じ内松登山道を下りました。


13:13 関山登山道入り口に戻ってきました。先ほども見たハナズオウ。

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今は関山の南側にいます。ここからは、車の通れる道を、関山を反時計回りに巻くようにして、南→東山麓→北山麓と歩いて関山の北側方向、白河駅の方向に向かいます。

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この辺りは、こんなお城みたいなお寺みたいな、立派な家が多い。

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石仏石塔群

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ずっと立派な歩道を歩いてきましたが、ここは前方の家を右側から巻くように歩道が付いています。左の大きな建物は、給食センター。

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川の手前の道を左折します。

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川沿いの道を行きます。

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5分程歩いて、関山橋を渡ります。地図には二枚橋と書いてあったんだけど、と思ったら、二枚橋水管橋という標識もありました。

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橋を渡った左側に、常夜燈と、満願寺の石標がありました。

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そのさらに少し先に、関山登り口の石碑

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「  関山登り口


     奥の細道 芭蕉自筆


心もとなき日数重るまゝに 白河の
関にかゝりて旅心定りぬ


   卯の花をかざしに関の晴着哉 曽良 




   心もとなき日数重なるまゝに
   白河の関にかゝりて旅心定まりぬ


   卯の花をかざしに関の晴着哉 曽良」




「心もとなき」から曽良の句まで、同じ文が2回刻まれています。


前半は芭蕉自筆を起こしたもの。後半は読みやすく楷書で刻まれています。




芭蕉が歩いた当時の道がそのまま残っている訳はありませんが、こんな感じの道を歩いたのかなあ。

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タンポポの花が一つ一つ大きい。

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石材置き場?にあった、自然石の手水鉢?

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2:24 左折

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こんな道を歩きました。

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この辺り、ソーラーパネルが多い。家中ソーラーパネル、というお家もありました。

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今日は風が強く、気温は高いのですが、やや寒く感じます。眩しさ避けと日除けで帽子を被っていますが、紐をずっと握って歩いています。


15:44 戊辰戦死の碑

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案内板
「  戊辰戦死之碑


        (八竜神地内)


この碑は、藤沢、土武塚、八竜神等に葬られていた奥羽越列藩 同盟軍の戦死者四十二名を合葬 した大正元年(一九一二)十月に、 地元有志の手により建立された ものである。


なお、同じ形の碑が寺小路(第三小学校そば)にもある。


       白河観光物産協会   」




15:47 石標 道標でしょうか?

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15:53 白川城址入口 石標

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白川城について、Wikipediaの概要はこちら

https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2024/04/09/111539



白川城の他に白河(小峰)城があるため、白川城とはあまり呼ばれず、搦手(からめて)城と呼ばれているそうです。白川城は山城、小峰城は平城です。



この頃から、強風のために目にゴミが入って、コンタクトレンズなので痛くてたまらず、スーパーマーケット(リオンドール結城店)があったのでトイレをお借りしようと入ったのですが、トイレは見つからず、でも、風のこない場所で暫し過ごせたので、目薬を差したりしてなんとかなりました。


16:17 阿武隈川を渡ります。(鹿島橋)

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ふきのとう 久しぶりに見ました。

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鹿嶋神社入口

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曽良日記に
「うたゝねの森、白河ノ近所、鹿嶋ノ社ノ近所。」
と記述されています。


鹿嶋神社

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白河 鹿嶋神社ホームページより
御祭神と御由緒(歴史)


https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2024/04/09/123117


境内のパワースポットの案内があったので、見に行きました。

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樹齢1000年の御神木

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鉄パイプなどで作った階段や山道を通って、3分ほどで磐座(いわくら)に着きました。

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随神門

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太鼓橋

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参道

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先ほどは横側から入ってしまったみたいで、これが正面から入る鳥居です。

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鹿嶋神社から5分ほど歩くと、歌枕「うたたねの森」

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案内板の内容はこちら
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2024/04/09/130838



阿部正方の歌碑

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案内板に書かれている「いにしへの・・・」の歌のように読めますが、気になるのは、左下の「曽弥」の文字。


そもそも清少納言曽弥とは、あの枕草子の清少納言でよいのてしょうか?曽弥はなんでしょう?



もう夕方なので、白河駅に向かいましょう。


さっき渡った橋をまた戻ります。橋に描かれた梅にウグイス。

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白河市の花は梅、白河市の鳥はウグイスなんだそうです。




うたたねの森から22分歩いた辺り、趣深い塀や蔵がありました。

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さらに2分後、「宗祇戻し」

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案内板の内容はこちら
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2024/04/09/135250



17:26 白河駅に戻ってきました。

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駅のホームから見える、あの城は?

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これが、白河城(小峰城)でした。



郡山に戻り、いつものもりっしゅで、今日は軽く食事。馬肉のもつ煮込み、生麩田楽、鳥の唐揚げハーフ、そして生ビールを今日は一杯だけ。

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明日も歩きます。



本日の歩数 37,985歩 23.17km




























3月30日(土)の2

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夕べは仕事帰りにバスタ新宿から高速バスに乗り、夜遅く郡山に着き、郡山のホテルに泊まりました。今回、二泊します。


今朝は郡山9:02発新白河行きに乗り、白河駅着は9:37。


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白河駅前10:10発の白河の関行きのバスに乗りました。


実は、2013年8月27日にこのバスに乗りたかったのに、乗れなかった、という出来事がありました。


その時のブログがこちら。
http://asiandream0804.livedoor.blog/archives/1033278.html


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当時はどこにも「バスの1番乗り場は2ヶ所あるのでご注意ください」とか、JRバスと福島交通バスがあります、のような表示がなく、せっかく1番乗り場で待っていたのに乗ることができなかった、という悲劇が!


まあ、そのおかけで気を取り直して須賀川に行き、お参り犬シロの話を知ったり、円谷幸吉の墓にお参り出来ました。


1964東京オリンピックのマラソンで、競技場に入って来たときは2位だった円谷が、衆人注目の中、外国人選手に抜かされて銅メダルとなり、オリンピックマラソンで銅メダルという輝かしい成績にも関わらず批判を浴び、そのせいかどうかはご本人のみぞ知る、ですが、自ら死を選んでしまい、私はピンクピクルスの「一人の道」を聞いて、賞賛されるべき人なのに悲劇の人になってしまったことを悲しく思っていました。今でもこの歌の歌詞を見ると、目頭が熱くなります。


しかし、須賀川に来て、地元では英雄として大事にされていることを知り、嬉しかった。


あれから10年、白河駅前はずいぶん変わりました。分かりやすい乗り場図も設置されていたし、当時はポツンとバス停が立っていただけなのに、行き先も明示されています。


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話は変わりますが、私は今回、新白河駅には行かないので、2013年に新白河駅前で出会った青年松尾芭蕉を貼っておきます。


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当時のブログから引用
「芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出たのは46歳。今は46歳と言えば壮年、働き盛りですが、元禄15年の頃は46歳と言えばもう初老。今で言えば70歳ぐらいとか。」




さて、予定どおり白河駅前10:10発のバスに乗り、白河の関前に降り立ったのは、ダイヤ通り10:41。運賃は670円。

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このバスには4人しか乗っておらず、お一人は地元の方だったのか途中で降り、残り3人は同じ、白河関前で降りました。3人とも一人旅のようです。


私以外のお二人は、それぞれ、時間差で白河神社(白河の関跡)に向かいました。


私はバス停近くの白梅が綺麗だなあ、と思いつつ、早速「おくのほそ道」を歩く旅の続きを歩き始めます。


途中、常夜燈がありました。

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10:54 庄司戻しの桜


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案内板の内容はこちら
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2024/03/31/185308



曽良日記の記述についての解説は、

林誠司の俳句オデッセイ
https://ameblo.jp/seijihys/entry-12498747469.html


から引用させていただきます。


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佐藤庄司(さとう・しょうじ)とは佐藤基治(さとう・もとはる)のことである。


「庄司」というのは「荘官」のことで、「荘園」の管理者である。


簡単に説明すると、自分たちの手で田畑を切り開いたのだが、当時、いろいろと朝廷や権力者から難癖をつけられたり、外敵によって奪われたり、と不安定だった。


そこで貴族や有力寺社に土地を寄進してしまう。


そうすると、一定の「上納」をすれば、そこの実質的所有者になれた。


当時、そうするしか土地を保てなかったのである。


その不満が鎌倉幕府が生まれる大きな原因となる。


だから、簡単に言えば地方豪族、つまり「武士」の原型である。




源義経が奥羽藤原氏の元で庇護されていた時、兄の源頼朝が伊豆で挙兵した。


頼朝の軍へはせ参じようとした時、佐藤庄司は二人の息子を義経に随行させた、それが継信・忠信兄弟である。


1180年(治承8年)のことである。


その時、庄司はここまで見送りに来て、桜の杖を地に刺し、




汝ら(兄弟のこと)忠義の士たらば、この桜の杖が生きるであろう。


と言ったという。


実際(かどうかわからないが…)この桜の杖は成長し、桜の木となった。


兄弟も大活躍し、最後は二人とも義経のために死んだ。




その桜が写真である。


江戸時代に野火で焼けてしまったそうだが、そこからまた桜が自然と生えたのだそうである。




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以前は判官贔屓という言葉は嫌いで、多少ヘソ曲がり、天の邪鬼的気質なので、自分は義経より、やっぱり頼朝が好き、なんて言ってましたが、日本人の血がそうさせるのか、一周回ってやっぱり義経が好き。


もしかしたら、敬愛する芭蕉翁の影響かもしれません。


たくさんの俳優さんが義経を演じてきましたが、私の中のベストスリーは、


1位 尾上菊之介(現、菊五郎)


2位 滝沢秀明


3位 菅田将暉




番外編として、タッキーの義経の牛若時代を演じた、子役の神木隆之介。




今まで県道76号線を歩いてきましたが、庄司戻しの桜からほどなく右へ別れる道に進みます。分岐点に「関山入口」の標識がありました。


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そこから3分ほどで、右側に石塔群。


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あれが関山かなあ。標高619メートルって、あれぐらい?


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さらに進むと、石仏と石塔。


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11:15 左折


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そのすぐ先で社川の橋を渡りました。


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関山が迫ってきました。


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桜かと思いましたが、多分梅が綺麗。


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何と書いてあるかよめませんが、標識?何かの石塔。


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11:35 関山入口の標識


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そのすぐ先に、標識、石塔


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右から2つ目の標識には


「白河関址至○一里」




11:39 石仏と石塔


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そのすぐ右側に「せき山道」


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「関山」の標識に従って左へ


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ちなみに関山は、関さん、と呼ばれているようです。



11:43 いよいよ山道の入口


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入口には、七地蔵とハナズオウ


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杖が置いてありました。お借りしようか、一瞬迷いましたが、借りませんでした。しかし、後々、借りればよかった、と思いました。


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山道

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石仏

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12:09 峠に出ました。

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今、上ってきた道は、内松登山道と言うんですね。
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関山満願寺標柱
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石畳のような道
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石仏
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歴史を感じる石垣
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割けた大木の根本に石仏
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12:15 御朱印所
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土曜日なのに開いていないのは、まだ山開きしていないのかな。明日が山開きなのかな?

(白河市のホームページを見たら、やはり3月31日が山開きでした。)

御朱印所の裏にトイレがあり、お借りしました。

御朱印所の前にある観音様
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さらに坂を上っていく途中にあった馬頭観音
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鐘突堂 銅鐘
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案内板の内容はこちら
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2024/04/04/064642


「おくのほそ道の山」碑
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碑文の内容はこちら
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2024/04/04/070138


碑文の最後に三句刻まれています。
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関守の宿を水鶏(くいな)に問はうもの 芭蕉

卯の花をかざしに関の晴れ着かな   曽良

奥の花や四月に咲を関の山      桃隣



最後の三句の解説は、「K's World ★kwaiの写真ブログ★」から引用させていただきました。
https://ameblo.jp/kwai8344nob/popularrecentlist.html?frm_id=v.jpameblo


↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓』

関守の宿を水鶏に問はうもの(芭蕉)

須賀川在住の門人等躬から、初めて白河に芭蕉の大ファンであった俳人「何云」<かうん>の存在を聞く。何云と等躬は入魂の中だったらしい。
初めてその存在を聞いた何云を白河の関の関守に見立てて、関守の住み処を水鶏に尋ねればよかったのに、と会えなかった侘びを表現した。水鶏は、その鳴き声が家の戸を叩いて訪ね歩いているように聞えることから、住まいについて詳しいと擬人化したもの。

卯の花をかざしに関の晴れ着かな(曾良)

旅のこととて晴れ着は無いが、せめてこのあたり一面に咲く卯の花を晴れ着の代わりに飾りとしてこの関を越えることとしよう


奥の花や四月に咲を関の山(桃隣)

 天野桃隣は芭蕉の門下で、芭蕉三回忌にあたって『奥の細道』の跡をたどった紀行文によると、白河に出て、関山に登っている。


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この辺りから、気象状況がよければ富士山が見えるそうです。

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今日は春霞で見えません。

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関山満願寺
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何やら石碑がありましたが、全く読めません。
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神馬堂跡
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「    神馬堂跡

治承4年(西暦1180年)源義經 登山、観音様に参拝祈願して 神馬を奉納した。

          関山奉賛会  」

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この石仏三体は、詳しくないので間違っていたらご指摘ください。中尊が釈迦如来の釈迦三尊像ではないかと。向かって左が観音様?左手に水瓶らしき物を持っているので。向かって右は右手に剣を持っているので、不動明王?



神馬堂跡の案内板の後ろの方に、「瀧不動登山道」という道標が見えたので、下山はこの道にしようかな。
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本堂
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本堂脇には馬頭観音像もありました。
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12:25 関山山頂 619メートル
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松平定信公の歌碑と六重の塔
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松平定信公歌碑
「   白川の里・・・・

関もあらは冬の日さしをととめ置き

てふりし昔のあとやとやまし 

山ち行きてふりさけ見れば関の梅や

打ち寄す浪は只の松風   」



白河市の眺望。

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左の方に南湖も見えます。南湖は農林水産省のため池で、南湖公園は、日本最古の公園と言われているそうです。
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石祠

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本日のランチ(行動食)
那須高原S.A.で買った桜あんどら焼き、ファミマで買ったこだわりマドレーヌと濃厚チョコパウンド。

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桜あんどら焼き→こだわりマドレーヌ→濃厚チョコパウンド の順に食べましたが、この順番は正解。

濃厚チョコパウンドは濃厚すぎて、これひとつでもう他には要りません、という代物でした。どれも美味しくいただきました。


食べている時、大きな犬を連れたご夫婦と、少し遅れてお一人でいらした女性に会いました。

もうすぐ山頂、という辺りで男性お一人、この後、下り始めてすぐに男性お一人と会いました。今日、山道で出会ったのはこの5人だけです。

私から「こんにちは」など声をかけましたが、何故かどなたからも返事が帰ってこなかった。皆様、しっかりした山歩き装備をされていて、私みたいな軽装の人を見て驚いたのかなあ。



本日の3に続く
































































3月30日(土) 晴れ




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本日は、先日断念した白河の関から白河駅あを歩く、「おくのほそ道」を歩く旅を敢行しました。


土日祝日しか走らない、白河駅10:10発の白河の関行きのバスに乗り、白河の関をスタート地点として、庄司戻しの桜~関山~鹿島神宮~うたたねの森~白河駅、と歩きました。


関山は標高619mですが、結構な山登りでした。


詳しくはまた後日。


本日の歩数 37,985歩 23.17km





3月29日(金) 雨のち晴れ




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天気予報通り、雨なのに暖かい。


朝は風が強くて傘を差すのが大変でした。


朝7:00から15:00までの仕事。


帰り、その足でバスタ新宿へ。


先日の旅で失敗した計画のやり直しです。


新宿へ向かう道々、NHKプラスで今朝の「ブギウギ」を見ました。明日もブギウギはやりますが、土曜日は一週間分を振り返る日なので、実質的には今日が最終回です。


母が笠置シヅ子が好きなので見始めた「ブギウギ」


結局私が楽しみに見ていました。


そして、動画配信で今はまっているのが、先日スージーに教えてもらった「マッシュ」


かなり面白い!





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