2020年05月


5月26日(火)

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5:25から散歩に出ました。

早朝なのに、人が増えた気がします。

朝からカレーを仕込みました。

プランクをやっているとき、玄関のキャビネットの右半分の硝子扉が気になりました。左半分の引き出しには、スタンプ台、ハサミ、ガムテープ、荷造り紐などが入っているのですが、右半分の硝子扉の中身は?

開けてみてら、たぶんほとんど要らないもの(伯母が施設に入るとき置いていった、ほとんど不要品)なのですが、ミシン油らしきものが目を引きました。108円の値札シールが貼ってある。

これは多分、かなり以前、とはいえ消費税が8%になってから(確か2014年4/1から8%だと思います)、伯母に頼まれて私が100円ショップで買ってきたものだと思います。

ここのところ、2階のトイレと兄の部屋の扉がキイキイいうのが耳障りだっので、見つけた油を差しにいったら、キイキイ言わなくなりました。

今日は朝から曇り。東京は雨も降ったみたいですが、こちらはずっと曇りでした。

陰暦四月の曇り空を卯の花曇りと言うそうです。

梅雨の走りで雨続きだと、卯の花くだしと言うようです。卯の花腐し、と書くそうで、卯の花のあの独特の匂いが雨の日にはきつく感じるられので、そこから来た言葉でしょう。

今夜のゴスペルと、明日のベーシックダンスはお休みすることにしました。

緊急事態宣言解除で、みんなが一斉に動き出す今はむしろ危険かもしれないから、5月31日までは自粛します。

とは言え、5月30日(土)と31日(日)は仕事の予定です。

今は、2度目の中山道六十九次歩きのブログアップの作業をしています。6日目までアップ出来ました。

江戸日本橋〜板橋〜蕨〜浦和〜大宮〜上尾〜桶川〜鴻巣〜熊谷〜深谷〜新町〜倉賀野〜高崎〜板鼻〜安中〜松井田〜横川駅

ここまでアップ出来ました。

現在、7日目を制作中。

横川駅から坂本宿までアップしました。

現在、碓氷峠越え〜軽井沢宿を書いています。4月4日の出来事です。緊急事態宣言発出の直前です。

2度目の中山道六十九次歩きの一覧の最新ページ

2度目の中山道六十九次歩き第1日目の1日本橋

既にアップ済みの、2度目の東海道五十三次歩き目次1

2度目の東海道五十三次歩き絵手紙


5月25日(月)


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土曜は買い出しのために家を出たのが7:45、昨日の日曜は仕事だったので朝の散歩には行きませんでした。

というわけで3日ぶりに5:30頃家を出て散歩に行きました。

まっすぐ行けばもっと早く着くのですが、散歩が8,000歩になるように、わざわざ遠回りして海に行くので、海に着くのは6:00過ぎになります。

6:00過ぎていることもあるし、最近は5:30頃には明るくなるので、海に着いた頃には、大分人が来ています。

今朝はさらに人が多い気がしたのは、多分今夜には緊急事態宣言解除の話が出るからって、気の緩みが出ているのか。

あっ、でも私もほぼ毎朝海に来ていますから、人のことは言えません。

今までは人のいない時間に散歩に出ていたのですが、明るくなるのが早くなってきて、みんな早起きになってきたので、人もだんだん増えてきました。

今朝の海岸
 

今日はピンクのつるばらが綺麗で、香りにうっとり。今日一日幸せに過ごせます。
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大島弓子の「つるばらつるばら」風の絵を描きました。

「つるばらつるばら」がどんな話か知りたい人は、こちらを見てください。

 「わたのくにがほしい」

「わたのくにがほしい」は、大島弓子先生大好きな方のブログです。

以前は解説なんて必要なかったんですが、最近は大島弓子先生を知らない人も増えたので、解説しますと、大島弓子先生の「綿の国星」という名作があるのです。

いよいよ、居残り組だった一都三県と北海道も緊急事態宣言解除が決まりました。

早すぎるのではないかと不安です。

私は個人的に、自粛続けます。

明日のゴスペルレッスンと、明後日のベーシックダンスレッスンに行くかどうか迷っています。

ゴスペルは、コーラスのクラスターが起きた件があるので、家族にも緩くですが反対されているので、休みたいと思っているのですが、明後日のベーシックダンスはJさんが今月休会していて先生と私の二人だけなので、行こうかなあと。でも、明日のゴスペルは休んで明後日のダンスは行くのも、いかがなもんかという思いもあるし。

18:00のニュースでは、まだ緊急事態宣言解除されていない一都三県で県を越えて遊びに行っている人が密集している日曜日の海や川の様子を映す一方、やはり解除は早すぎる、第2波、第3波が怖いから、自分は自粛を続ける、という声も多くて、よかった、と思いました。

密集地に行ってしまう人は、もう我慢の限界を越えた、と言っていましたが、私は自粛生活楽しいけれどなあ。

私は人のいない所を散歩出来るから、それも近くに海や山があるから、幸せなんだとは思いますが、そんなにやることなくて暇?

私はやりたいこと、半分も出来なくて、眠くなってしまう毎日です。

暇でもてあましてパチンコに行きたくなる人は、マスク作ったり料理したりすると、時間はすぐにたってしまうんだけどなあ。


5月24日(日)


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本日は1週間ぶりの出勤。

3時間半の肉体労働を終えて帰った来て、すぐに晩御飯の準備。

タマネギを大きめのみじん切りにして炒め、鶏ガラスープで少し煮て、昨日の肉そぼろの残りを冷蔵庫に入れてあったのを加え、生にんにく(チューブ)を少し入れ、麻婆豆腐の素を入れて、水切りした豆腐を入れて麻婆豆腐を作りました。

それからプランク40秒を4セットやりました。

そこまで一気にやった後、突然疲れがドドーンッと襲ってきた!

仕事の疲れに気づかず、帰ってから一息もつかずにすぐ作業とプランクをやり、それを終えたらドドーンッと疲れたということは、実は仕事後はハイテンションになっていて、疲れに気づかなかったんだと思います。


5月23日(土)


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今日は買い出しの日。早朝だとまだスーパーが開いていないので、散歩は7:45頃から出掛けました。

今回はいろいろ試してみたくて調味料なども買ったので、荷物がかなり重くなりました。

人を避けて歩く歩き方、癖になりそうですが、新型コロナウィルスはずっと消えず、今後も付き合って生きていかねばならないのなら、今後はずっとこんな歩き方をしなければいけないのかなあ。だとすれば、歩道を広げてほしい。

緊急事態宣言が解除されたら、駅やデパ地下や、そういう人が集まる場所をどう対処していくんだろう。

渋谷の、東急東横線から井の頭線の乗り換えの地下通路とか、新宿駅の乗り換えとか、あの人混みはどうするんだろう。

映画館や劇場は、席数を減らすのが今後も決まりになったら、集客と採算に問題が生じてしまう。梅沢富美男さんが、そんなことをしたら役者は生きていけない、と言っていました。

昼間、今回は念入りに豆腐の水切りをしたり、テレビで見た冷凍王子のレシピの準備をしたりしましたが、いずれも出来上がるのは今日ではない下拵え。

今夜は肉そぼろ丼を作りました。パラパラしすぎて、もう少ししっとり仕上げたかったなあ。かといって、べしょっとはなりたくない。

プランク40秒4回は、レギュラー化しました。

テレビで見た、肩凝り予防と腰痛予防のストレッチ、やってみたらなかなかよいので、これも毎日やろうと思います。


5月22日(金)


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今朝も5:25から散歩。

ここ数日ずっと曇りで、傘が要らない程度の小雨もちょっと顔に感じる、そんな毎日です。

早朝の海辺の常連も、なんとなく覚えてきました。

挨拶してくれるミズマルーン(一昨日は桃色クローバーゼット、と思いましたが、いつも海老茶の帽子をかぶり、茶色や紫の服で、全体に印象がマルーン)や、犬の散歩の人や、姉妹なのか女性二人連れや、親子や、足の筋肉がプリプリしたジョギングの人や、釣りしている人や。

今日は犬を連れたサーファー風の男性に会わなかったなあ、と思ったら、海辺を出た狭い道ですれ違い、その時のリアクションから、やはり知り合いみたい。

店長さんかなあ。確かマスターと呼ばれていたから、違ったとしても、勝手にマスターとあだ名しよう。ミズマルーンのように。

ミズマルーンは、思ったより痩せていて、とすると、知り合いではないかもなあ。

今日は見かけなかったけれど、犬連れで、海辺を出たところの石仏にお賽銭する人や、コンクリートの堤防みたいなところでダンスしている人など、時々見かける人もいます。

土日はまたメンバーが少し変わります。

水際を歩いていると、波の寄せ引きが規則正しくない面白さを感じます。

幼稚園の時の運動会のお遊戯で、大波小波という演目がありました。みんなで横長く手を繋いで、前へ行ったり後ろへ下がったりするのですが、私は子ども心に、もっとみんな息を合わせて、きれいに波を作ればいいのに、ぐちゃぐちゃだ、と思っていました。

でも、毎朝波が寄せては返す様子を見ていると、あの幼稚園の時のぐちゃぐちゃな波がかなりリアルな波だったんだなあ、と今更ながら思うし、とても懐かしいです。

夕べ母とテレビを見ていたら、広島県の呉が出て来て、母が、沈んだまま浮上しなかった第六潜水艇の話をしました。

昔は修身の教科書に載っていて、学校で習ったそうです。

その潜水艇に、祖父の兄弟、亡くなった父の叔父にあたる方が乗っていたそうで、母は名前や階級など、何も覚えていませんでしたが、wikipediaで調べたら、フルネームも階級も出ていました。

もうかなり以前に、第六潜水艇について調べている方から電話でインタビューがあったそうで、遺族ということで出版した本もいただいたそうですが、その本は引っ越しで処分してしまったのかな。

wikipediaを書き込んだのは、その本を書いた方かもしれません。

学生の頃、コンパで軍歌を歌う友人がよくいて、親が酔うと歌っていたんだそうです。私の家では、祖父も父も、戦争のことは語りたがりませんでした。だから、私は軍歌をあまり知らず、テレビで覚えたものが多かった。

学生時代の友人の親の中では、父は若かったこともあります。

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