平成最後の私の企画で、東日本大震災のあった2011年3月11日から4月30日までの日記を毎日アップしてきましたが、いよいよ最終回です。
停電、余震、米もパンも肉も卵も売っていない日々から、大分たちなおってきました。
2011年4月30日(土)
「中華街の隠れ家的飲茶」
長女と横浜中華街へ。
早めに家を出たのに、信号待ち?で遅くなりました。
そもそもがそのもっと前に、何らかのアクシデントで、本来千葉行きの電車が大船止まりとなり、いつもなら上りホームに入る電車が下りホームに入るため、下り電車が出ないと大船駅には入れないという、なんだかお粗末なストーリーじゃないですか。
そのせいで車内で遅刻の電話してる人いるし…
まあ、私たちは、多少中華街到着が遅れたと言っても、今年のゴールデンウィークは例年に比べてどこも(多分東京 ディズニーリゾートを除いて)人出が少ないようで、それは横浜中華街も例外ではなく…
私は皆さんが出控えている、或いは余震を恐れて近所にしか出ないからだと思うのですが、娘は、普段鎌倉や横浜が混んでいる大半は東北の皆さんや外国人だから、今は東北の皆さんや外国人が来ないから、と思っています。
さて、ちょくちょく中華街に出入りしている長女に、今日の店選びを任せてあるのですが、彼女が入ってみたい店はことごとく今日も並んでいて、それらを素通りして台南市場のいつも行く店を素通りして…
見つけました。くつろげる飲茶の店。
小 さい店なので、詳しい場所などの公表は避けます。
落ち着けるし、隠れ家的店を見つけた、と二人で大喜び。
他のお客様はオススメ5点セットやコースを頼んでましたが、私たちは本能と過去の経験を生かしてチョイスしました。
ピータン、水餃子、青菜炒め(本日はチンゲン菜)、小籠包、鶏肉の焼いたの、中華おこわ、そして、お店ご自慢の杏仁豆腐を食べました。
娘はアイス烏龍茶で、おかわり自由みたいで、私のポットのジャスミン茶はお湯を差してくれます。
二煎目のジャスミン茶も美味しかった。
中華街飲茶でくつろぐ黄金週
それから中華街をいろいろ見ながら歩き、私はストールと、インド翡翠&水晶のブレスレット(健康運)を買いました。
山下公園では、大道芸(中国独楽)も見ました。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
これで、平成最後の、東日本大震災後の日々を振り替える企画は終わりです。
この後、被災地復興に少しでも貢献したくて、仙台、松島、釜石、石巻、水戸や那珂湊など、茨城も被災地は生々しかった。そういうところに行って、道路の亀裂や、倒れた墓石や灯籠を見たり、食べたりお土産を買って少しでも被災地復興のお役に立ちたいと、回っていました。
仙台の人達が、私たちのことを
「復興ファン」
と呼んでいました。
停電、余震、米もパンも肉も卵も売っていない日々から、大分たちなおってきました。
2011年4月30日(土)
「中華街の隠れ家的飲茶」
長女と横浜中華街へ。
早めに家を出たのに、信号待ち?で遅くなりました。
そもそもがそのもっと前に、何らかのアクシデントで、本来千葉行きの電車が大船止まりとなり、いつもなら上りホームに入る電車が下りホームに入るため、下り電車が出ないと大船駅には入れないという、なんだかお粗末なストーリーじゃないですか。
そのせいで車内で遅刻の電話してる人いるし…
まあ、私たちは、多少中華街到着が遅れたと言っても、今年のゴールデンウィークは例年に比べてどこも(多分東京 ディズニーリゾートを除いて)人出が少ないようで、それは横浜中華街も例外ではなく…
私は皆さんが出控えている、或いは余震を恐れて近所にしか出ないからだと思うのですが、娘は、普段鎌倉や横浜が混んでいる大半は東北の皆さんや外国人だから、今は東北の皆さんや外国人が来ないから、と思っています。
さて、ちょくちょく中華街に出入りしている長女に、今日の店選びを任せてあるのですが、彼女が入ってみたい店はことごとく今日も並んでいて、それらを素通りして台南市場のいつも行く店を素通りして…
見つけました。くつろげる飲茶の店。
小 さい店なので、詳しい場所などの公表は避けます。
落ち着けるし、隠れ家的店を見つけた、と二人で大喜び。
他のお客様はオススメ5点セットやコースを頼んでましたが、私たちは本能と過去の経験を生かしてチョイスしました。
ピータン、水餃子、青菜炒め(本日はチンゲン菜)、小籠包、鶏肉の焼いたの、中華おこわ、そして、お店ご自慢の杏仁豆腐を食べました。
娘はアイス烏龍茶で、おかわり自由みたいで、私のポットのジャスミン茶はお湯を差してくれます。
二煎目のジャスミン茶も美味しかった。
中華街飲茶でくつろぐ黄金週
それから中華街をいろいろ見ながら歩き、私はストールと、インド翡翠&水晶のブレスレット(健康運)を買いました。
山下公園では、大道芸(中国独楽)も見ました。
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これで、平成最後の、東日本大震災後の日々を振り替える企画は終わりです。
この後、被災地復興に少しでも貢献したくて、仙台、松島、釜石、石巻、水戸や那珂湊など、茨城も被災地は生々しかった。そういうところに行って、道路の亀裂や、倒れた墓石や灯籠を見たり、食べたりお土産を買って少しでも被災地復興のお役に立ちたいと、回っていました。
仙台の人達が、私たちのことを
「復興ファン」
と呼んでいました。