2012年08月

2012.8.31.




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月31日(金)






ラジオ体操今日までの子ら夏が逝く






眠られぬ一夜逡巡つく法師






午前中、母とダイエーに買い物に行きました。


母と買い物に行くのは、去年ユザワヤに行って以来かな。


母はダイエーには、見栄えがよくて安い物ばかりなので驚いていました。


夜、先日途中までしか出来なかった、公演の写真をダウンロードしてweb上にアップしたり、葉書大にプリントする準備を、フォトショップを使って加工するやり方を兄に聞きながらやりました。


こちらの2枚の写真はメリゴ公演の第二部の海王です。


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月30日(木)の②


冒頭の写真は、「白くまピース」の、愛媛県立とべ動物園ホッキョクグマ、ピースの12歳の誕生日。


2012年1月です。


こちらは、午後、BSプレミアムで見た「ザスーラ」。


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どんな映画か分からずに見始めたのですが、古いブリキのロケットが、ブリキの宇宙ゲーム盤の上を動くオープニングはなんだかおどろおどろしく、母はオープニングを見て「気持ち悪い」と言ってました。


私はこの映画、面白くて集中して見ていましたが、母はオープニングで悪い印象をもってしまったため、用事で出たり入ったりしていて目の端でしか見ていなかったこともあり、つまらなかったと言ってました。


最初に「嫌な」感じの、見たくないことがあると、主人公たちは成長して最後にはよくなる、というパターンは先日観た「英国王のスピーチ」もそうだったし…


ザスーラは荒唐無稽で、どう収拾つけるのかと思っていたけれど、夢落ちではなかったところがよかった。



2012.8.30.




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月30日(木)






寝苦しき深夜音無き闇に居る






未明目を覚ましたら、全くの無音。虫の音なく蝉も鳴かず、電車や車の音もしない。家族の鼾も聞こえない。


こんなことはいまだかつてなかった。


窓を開けているから、外の音は聞こえるし、家族の部屋は扉はあってなきものだから、イビキや寝息は聞こえてくる。


私、耳が聞こえなくなったのかな?


10分間ぐらい、耳をすましていましたが、聞こえない内に眠ってしまいました。


車の音も、新聞配達のオートバイも聞こえない、一番近くに寝ている長女の寝返りも聞こえない、珍しい時間帯だったのでしょう。


朝起きたら、世の中は音に満ち満ちていました。


朝から暑いけれど、網戸すれすれを蜻蛉が飛んでいく。秋は忍び寄ってきています。


朝、BSプレミアムで素晴らしい番組をやっていました。


旅のチカラ「人生を弾き 魂を響かせろ~沖仁 スペイン・アンダルシア~」


フラメンコギタリストの沖仁、37歳。2010年、日本人として初めてスペインの3大ギターコンクールで優勝する快挙を遂げた。その沖が、さらなる飛躍のために本場スペインのアンダルシアへ向かい、「生ける伝説」と呼ばれる歌手マヌエル・アグヘータとの共演に挑む。もともと流浪の民・ヒターノが自らの人生を嘆く歌から始まったフラメンコ。マヌエルとの魂をぶつけあう対決を通して、その神髄をつかみとることができるのか?


その後、やはりBSプレミアムで、白くまピースを見ました。


国内初の人工哺育ホッキョクグマ。


ピースという名は、戦争中たくさんの動物が動物園で亡くなった…そんな悲しいことが二度と起こらないように、という願いをこめて名づけられました。


冒頭の写真は、ピース生後3ヶ月頃。


番組では6歳まで語られていましたが、ピースは今も愛媛県立とべ動物園で元気にしていて、12歳になっています。


今日は残暑厳しく、滝の汗。服もタオルも下着も、何枚もぐっしょり重くなりました。


ダンスレッスンに久しぶりに行きました。


今日は一番夏らしい夏日だ、とみんな言ってました。


ヒップホップは楽しい。


ジャズは、グランプリエの時に尻を出さずに背中を引き上げる、ことをやりました。


シェネでも、お腹をコルセットで絞めているような気持ちで回ればバランスよく、速くても何回でも回れると。


今日は朝起きた時に、寝違えみたいに痛くて首の後ろに温湿布してましたが、汗で剥がれてしまう。


夜、久しぶりにスパへ行きました。写真は、シーサイドライン八景島駅。


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以前スパに来た時は、左手のリハビリのために禁酒していたので、今日はゆっくり飲みました。写真は、シメサバ。


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8月29日(水)の②


今日午前、宝塚の現役大御所の春日野八千代さんが逝去されたとのニュースが入り、Sou氏にメールしたら、

「むねん!百周年間に合わず」と、泣き顔絵文字で返

母は、神戸に住んでいる頃はよく観に行った、と話していました。

ネットで拾ったニュースより。

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宝塚男役大スター、春日野八千代さん死去

 “永遠の男役スター”と呼ばれ、戦前戦後を通じて宝塚歌劇のシンボル的存在として活躍した春日野八千代(かすがの・やちよ、本名・石井吉子=いしい・よしこ)さんが29日午前10時34分、肺炎のため大阪市内の病院で死去した。96歳。

葬儀・告別式は近親者のみで行う。後日、宝塚バウホールで「宝塚歌劇団葬」を行う予定。
 神戸市出身。昭和3年、宝塚音楽歌劇学校(現・宝塚音楽学校)に入学、4年の「春のをどり」で初舞台を踏んだ。その後、8年に新設された星組の披露公演「お国歌舞伎」で主役に抜擢、スターに躍り出た。
 21年、戦争のため閉鎖されていた宝塚大劇場の再開記念公演「カルメン」では主役のホセを演じた。その後も、「ハムレット」「リラの花咲く頃」「南の哀愁」「虞美人」「源氏物語」など次々と大役をこなした。“白ばらのプリンス”や“永遠の貴公子”とも呼ばれ、特に乙羽信子さんとのコンビはファンの圧倒的な支持を受け、戦後のタカラヅカの黄金時代を築いた。
 31年の「ローサ・フラメンカ」を皮切りに演出も手がけ、外部の舞台や映画にも多く出演した。
 生涯現役を貫き、平成15年まで毎年、新作舞踊を披露。16年の宝塚歌劇創立90周年記念の花組公演などにも特別出演して、格調高く祝舞を舞った。21年6月に宝塚大劇場で行われた95周年記念のトークショーに登場、客席を沸かせたのが、最後の舞台出演となった。
 昭和54年に紫綬褒章、61年に勲四等宝冠章を受章。



春日野八千代さん死去「男役の美学」を作り上げた 
2012.8.29 20:02 (1/2ページ) [有名人の訃報]
 創立100周年を目前にして、宝塚歌劇のシンボルが逝った。大正3年に誕生した宝塚歌劇とほぼ同じ歴史を歩み、夢とロマンの世界を貫いた宝塚そのものの生涯だった。
 「ヨッちゃん(春日野さんの愛称)がいなかったら、今の宝塚はなかった。(アメリカの)進駐軍に接収されていた宝塚大劇場が、戦後まもない昭和21年(4月22日)に再開できたのは、進駐軍の上官がヨッちゃんの踊りを観て感激したからなんだよ」と、演出家の内海重典さんは生前に話していた。“白バラのプリンス”とたたえられた舞台姿の美しさは、洋の東西を超えて魅了したようだ。
 体が弱かったために、父親にすすめられてダンスや舞踊がある宝塚音楽歌劇学校へ入ったという春日野さん。背が伸びて自然に男役になったそうだが、二枚目を演じるために洋画を参考にしたり、衣装に香水をかけて雰囲気づくりをするなどの工夫を重ねて、かっこいい“男役の美学”を作り上げたという。
 私(記事の筆者)が宝塚担当になったときは、すでに“伝説のカリスマ”で、ミュージカルなどの舞台を生で見たことはないが、記念公演の祝舞や宝塚舞踊会での踊りでは、近寄りがたい品格のオーラに圧倒された。なにより客席のファンがうっとりと陶酔したように見つめる“熱視線”に驚かされた。

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月29日(水)の①






ふっくらと箱に六個の桃笑ひ






朝のBSプレミアムで、世界で初めて義足を付けたゾウ、「星の子モーシャ」をやっていました。


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感動しました。


残暑が厳しい。


夜、29日で肉が安いし生ビールも安い牛角に長女と言ったらウェイティングしていたので、ホルモンへ行きました。


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